平成26年度地域産業振興講座第8回開催概要   

総務企画部企画課

日 時 平成26年11月19日(水)14:00〜15:30
場 所 一般財団法人日本立地センター 会議室
テーマ 新技術開発における補助金の活用
講 師 株式会社タナカ技研 代表取締役社長 田中 俊次 氏

 

<講演概要>

株式会社タナカ技研<br/> 代表取締役 田中俊次 氏
株式会社タナカ技研
 代表取締役社長 田中俊次 氏

1.タナカ技研の会社概況

 当社は1977年に父が埼玉県秩父郡小鹿野町で設立した。今期で38期目になり、現在国内3箇所、海外2箇所に拠点を構え、国内に112名、中国に140名が勤務している。具体的には、国内拠点はダイシング加工等を行う秩父工場、成膜・蒸着など光学薄膜加工を行うみどりが丘工場、マグネット加工に特化したエクゼル工場がある。さらに海外拠点は、香港の華南地区に事務所、中国の広東省東莞(トングァン)市に工場を構えている。
 当社はダイアモンドブレードで難加工材を切断する事業からスタートし、ハードディスク用磁気ヘッドの世界シェアを4〜5割占める大手金属メーカーから、フェライト材料の加工を請負うことになった。当時ハードディスクのヘッド加工という分野において、その加工のほとんどをその大手金属メーカーから占めるに至った。その後、ハードディスクのヘッドは薄膜ヘッドへの技術の置換により加工方法が変わり終息が余儀なくされた。
 しかし、ハードディスクのヘッド加工の合間に手がけていた、コンパクトディスク(CD)用ミラーやプリズムの加工ではそのハードディスクのそれで培った技術を流用し、大手フィルムメーカーの関連会社から仕事を請負うことができた。その結果、CD用ミラーやプリズムの分野で加工において世界シェア6割を占めることとなった。
 さらに2000年以降、CD用ミラーやプリズムの加工も中国にどんどん移管が進み、当社はIRカットフィルターという携帯電話のカメラや一眼レフカメラに必要なフィルターの加工を行うようになっていった。現在もアメリカのスマートフォンのある部品の8割を当社が加工しており、これも大手素材メーカーからの仕事であるため、1社依存率の高い歴史をハードディスクとミラー・プリズム加工と同様にまた繰り返している状況となっている。  

2.タナカ技研の生い立ち

 当社は、1865年(慶応元年)に祖先の女性が秩父地域で「田中屋商店」を創業したことが起源となる。その後、祖父の時代に養豚や製粉、精米などの事業で多角化していった。戦後に入ってさらに事業を拡大すべく、父(四男)の長兄が製麺の事業を始めた。しかし、事業が拡大しはじめたところで長兄が亡くなってしまう。当時、父が病床の長兄に呼ばれ「これから工業の時代が来る。どんな事業でもいいから行うように。」と言われ、ボールベアリングを作る事業を始めるようになった。元々行っていた製麺業は三男が行うことになり、ボールベアリングは本家の事業となったため、父は独立して「タナカ技研」を立ち上げた。当社を含め一族が立ち上げたいくつかの会社は今も創業の地にあり、さまざまな事業を受け継ぎながら新しい業態に転換して行った歴史となっている。
 父が独立するきっかけとなったボールベアリング事業では、超硬バイトで金属に溝を掘るために、超硬バイトをダイアモンドカッターで研いで切れ味が鋭くなるよう目立てをする必要があった。この目立てをする技術を用いてスピンアウトしたのがタナカ技研であった。ガラスやフェライト、セラミックやジルコニアなどの脆性材料の加工から始めて行ったが、そこで大ヒットしたのが先に述べた大手金属メーカーのハードディスクヘッド加工事業である。
  当社は、CDハードディスクで培った切断加工技術をCDのミラーやプリズムの加工分野に迅速に入り込み大きな成功を収めた。2000年に入り、大手カメラメーカーの技術や営業部門出身である二代目の長谷川社長がその前職の経験を活かし、こうした加工分野に加え光学分野に事業を発展させていった。当時私はアメリカに在住していたが、長谷川前社長に依頼され、大手測量機器メーカーとの合弁会社の設立を通じて、中国工場の立ち上げに関わることになった。

3.中国への海外展開

 大手測量機器メーカーとの合弁会社の立ち上げは、2001年4月に先方からのCD向け光学部品のサンプル提供依頼から始まった。依頼があった翌日にサンプルを提出した際、この大手メーカーはCD向け光学デバイスの量産に苦慮していたため技術を売って欲しいと打診された。しかし、当社は、今後国内での生産は右肩下がりになると予測していたため、技術を売るのではなく一緒に海外に出ることを提案した。すると6月に大手メーカーから中国で建設している工場の視察に誘われ、その2ヶ月後の8月に合弁会社が作られた。そして、同年10月にはフル操業というスムーズな垂直立ち上げができた。合弁会社設立前から大手メーカーも少しずつ生産していたが、合弁後は10月の段階で今までの3倍の量産が可能となった。中小企業の我々にとっては、リスクを最小限にして、中国に海外進出することができた。その後、中国政府の方針がどんどん変わっていき、合弁会社は2005年に当社100%出資となり、中国工場も東莞市石龍の鎮政府との合弁会社となった。
 中国進出については、本当にタイミングよく大手測量機器メーカーと合弁会社を立ち上げることができ、さらに中国で一緒にCD・DVD業界での事業展開のチャンスを得られたことを大変感謝している。

4.主な事業内容

 当社のコア事業は、自社製品を中心とした光学部品と受託加工を中心とした精密加工に分類される。
 光学部品分野では、IRカットフィルターや監視カメラ用のフィルター、車載用IRカットフィルターなどがある。IRカットフィルターは、主に携帯電話やスマホのカメラ向けでレンズとセンサーの間に使用されており、このフィルターがないと画像に赤外線が映り込み画面が真っ赤になってしまう。このため、日中使用での製品であるなら、必ずこのフィルターが必要となる。逆にこのフィルターを一時的に夜間に使用しない製品が監視カメラや暗視カメラなどである。この他、デジタルカメラのファインダーのカバーガラス加工やIRカットフィルターユニットの組立てを行っている。
 精密加工分野では、ダイアモンドブレードで堅くて脆いものを切るスライシング、ダイシング、超音波を用いたダイアモンド砥石でドリルのように穴加工や溝加工など施す三次元加工等を行っている 。

5.事業の変遷

 当社の売上は、創業期はハードディスクの磁気ヘッド加工が中心、次にCD用ミラーやプリズムの加工中心に推移していったが、次の事業に移るまでの間、売上が落ち込んでしまう。
 IRカットフィルターの売上も好調の時は対前年比で2倍に増加するのに対し、不調の時は8割減に落ち込むこともある。先端技術は釣り竿の先端のように振れ幅が大きいため、当社は常に財務体質の強化に取り組んできた。加工製品のライフサイクルは20年あれば良いと言われているが、IRカットフィルターはすでに10年経過している。次に何を行うべきか考えなければならない時期に来ている。
 当社は2009年のリーマンショックを契機に前社長が退任し、私が社長を引き継いだ。父が創業した頃、高度経済成長期で日本の大企業が牽引した時代であったため、大企業の発注をそつなくこなしていれば仕事はあった。しかし、現在では、日本の大企業も世界の競争にさらされて大変な状況となっている。中小企業が頑張ってついて行ったとしても、すぐに競争の中で淘汰されてしまう実情があることを我々も嫌と言うほど味わっている。父親がダイアモンドのカッターで創業して、二代目の長谷川社長が光学分野を切り拓いたが、三代目の私が何をしたら良いのかとチャレンジの毎日である。

6.新たな挑戦

 2008年に経済産業省の「元気なモノづくり中小企業300社」に選定された。これがきっかけとなり、世界に日本の技術を紹介する「ジェイテック」というNHKワールドのドキュメンタリー番組の第1回放送で当社が紹介された。放送された当時はリーマンショックの影響で会社は大変な状況であったが、まずは基盤となる社内体制の強化に努めることを考え、産学官連携や専門官派遣などを活用することを考えた。
 そこで、当社は埼玉県産業振興公社が主催する「埼玉オプトビレッジ構想」などに参画しているため、まずはそのプロジェクトの一環で産官学連携などに参加した。さらに中小企業基盤整備機構をはじめ、さまざまな「専門家派遣事業」を活用させていただいた。新しいフィルターを作るプロジェクトでは専門家派遣してもらい、商品化に向けた活動方法や商品化のプロセスについて企業として学ばせてもらった。また、「広報支援プロジェクト」では専門家にアドバイスをいただき広報紙を刊行、現在も継続して年に4回社内報を出している。埼玉県産業振興公社で実施している「原価管理の仕組みづくり」では、専門家にアドバイスをいただきながら原価管理システムを開発し、今も活用している。他に「中期計画作成プロジェクト」では第9次中期計画を専門家と一緒に作成し、現在は同中期計画1年目に位置している。
 当社が1社依存から脱却するためには新たな開発が必要であり、補助金に挑戦することで次期開発に着手しようと考えた。そのために当社が使えそうな補助金や助成金などをリストアップして次期商品開発に合うものを申請した。例を挙げると、中小企業庁「ものづくり中小企業製品開発等支援補助金」では、「防汚コート」の開発において試作品を作成できた。三菱UFJ技術育成財団「研究開発助成事業」では、「ND(減光)フィルター」の研究開発を行った。さらに、東京都中小企業振興公社「東京都経営革新支援計画」の承認を受けて、新製品の開発を行った。他にも「国内立地推進事業費補助金」に採択され、加工分野で新しい設備を新設することができた。新しい設備の導入により生産性が3倍となり、新たに39名の雇用を創出し地域に大きく貢献することができた。また、「戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン)」では、3ヶ年かけて、NDフィルターの商品化向けた開発を行っており、今年度が最終年度となっている。
 私は歴代社長のような技術的なバックボーンや自ら創業もしたこともないので、自分に何が出来るか考えた。その結果、支援事業や補助金をうまく活用することにより、社内の意欲を盛り立て、持続的に成長できるためのステップを踏むことにしたのである。

7.日本とドイツにおける技術開発体制の違い

 最近、ドイツのフラウンフォーファー研究機構に訪れたが、日本の補助金を含めた支援のあり方にドイツの支援方法と大きな違いを感じた。例えば、日本では補助金を採択されて技術開発を実施する際、かなり量の煩雑な事務作業が要求され、事業報告するにあたっても相当な人手と知識がいる。このような状況を緩和するため、地方の産業支援機関などは補助採択事業者を事務面でバックアップする体制を整えている。また、日本の産学連携では、大学や研究所の研究成果を企業に技術を落とし込んで商品化する部分がデス・バレー(死の谷)になってしまっている。
 一方、ドイツやオランダでは、大学と企業の間に立つ試作開発機能を有した「実用化研究所(実用化のための研究開発組織)」を戦後すぐに作り、大学と企業を繋いでいる。
 ドイツでその代表となるのがフラウンフォーファーである。フラウンフォーファーの予算の内訳は、30%が公費により予算が付けられ、30%はフラウンフォーファー自身が設備や技術を市場に売ることにより収入を得ている。残りは企業からの研究委託費で賄っており、ドイツではこのような研究所に企業が来て課題を出し、研究員はこれを解決することが任務となっている。研究所では成果が出れば、リターンを得ることも企業の設立もできる。新しい技術ができた場合、企業に移管できれば移管し、移管できる企業がなければ企業を作るという仕組みができている。

欧州と日本における産学連携の違い


 また、フラウンフォーファーには、現在も数多くの韓国、中国の技術者が技術の獲得のために研究所にきているが、日本人はそれに比べて少ないとのことだった。これを聞いて、世界中から技術者が集まることでドイツに技術開発力が蓄積されていき、日本が世界の潮流から取り残されるのではと感じた。
 フラウンフォーファーには、工業、食品、木材、衣類など技術分野毎の研究所が国内66ヶ所に点在しており、22,000人ほどのスタッフが従事している。これだけでも1つの産業とも言える規模であるが、世界中に分室があり東京にも出先機関がある。旧東ドイツにある光学分野の研究所に行ったことがあるが、ほとんどの研究員が地元の方々で地場産業と一体となって根付いていることが衝撃的だった。フラウンフォーファーは研究所が産業の芽を生み出し、そこで雇用も生み出すという好循環を作り出している。
 日本も各都道府県にある公設試験場などを活用し、フラウンフォーファーのように専門的分野で技術開発体制を再構築すればもっと機能するのではないかと考える。フラウンフォーファーへの公費と日本で使われる補助金の金額は、ほぼ同額である。だが、有効活用という点では、ドイツのフラウンフォーファーの方が効果的であるように感じた。
 しかし近年、日本でも基礎研究成果と実用化の橋渡しをおこなう組織の提案が出されている。日本でもこの組織がフラウンフォーファーのように、中小企業の新たな取り組みを強く後押しするようになることを期待している。

講義風景
講義風景


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